入試問題はなぜ刑務所で刷られてきたのか?昭和に起きた思わぬ顛末

おもしろ・珍説
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ざくっと都市伝説
  • 本来もっとも情報が漏れてはいけないはずの入試問題。
  • それが刷られていたのは、外部から完全に遮断されたある場所だった。
  • その”鉄壁”のはずの場所から、まさかの形で問題が流出した。

入学試験の問題ほど、事前に漏れてはいけない情報はない。

一問でも、一行でも事前に漏れれば、その試験そのものが成立しなくなる。だからこそ印刷は、ごく限られた、外部から完全に遮断された場所で行われる。そう聞くと、警備会社が管理する特殊な倉庫のような場所を想像するかもしれない。しかし実際にその役目を担ってきた場所のひとつは、意外にも「刑務所」だったという。

県立高校の入試、大学の入試問題。数え切れないほどの受験生の運命を握る紙の束が、塀の中で刷られてきた。受刑者にとって、それは特別な仕事ではなく、日々の作業のひとつに過ぎなかったらしい。外の世界から完全に切り離された人間たちに、外の世界を左右する紙を任せる。考えてみれば、これほど皮肉な組み合わせもない。

昔からこんな話が語られている。

1971年(昭和46年)3月、大阪刑務所内で起きたある事件がきっかけで、この”鉄壁”のはずの場所の裏側が明るみに出た。国立・公立大学の入試問題が、所内から抜き取られ、外部で売買されていたというのだ。

発端は1967年(昭和42年)頃までさかのぼる。所内の印刷工場で大学受験問題の作業についていた受刑者たちが、まんまと問題用紙を手に入れることに成功していたという。

その手口が、なんとも言えず生々しい。

看守の目を盗み、運動の時間にバレーボールの中へ入試問題を仕込む。ボールはただの遊び道具として扱われているから、誰も中身を疑わない。そしてわざとそのボールを塀の外へ蹴り出す。外では、あらかじめ待ち構えていた仲間が、何食わぬ顔でそれを回収する。塀の中と外、受刑者と自由の身の仲間、その間をたった一つのボールが行き来していたことになる。運動場という、本来もっとも監視されているはずの場所が、実は一番の抜け道になっていた。

1970年(昭和45年)、関係者が刑務所を出所してからも、この執着は終わらなかった。今度は問題用紙を手に入れるため、わざわざ刑務所へ盗みに入った者までいたと語られている。塀の外に出てもなお、その紙を求め続けた者がいたという事実が、この話の異様さを物語っている。

事の発覚は、皮肉にも別の事件からだった。同年1月、仲間割れによる殺人事件が起き、その捜査の過程で、長年隠されていたこの流出のからくりが浮かび上がってきたのだという。もし仲間割れが起きていなければ、このやり取りはもっと長く続いていたのかもしれない。

「絶対に漏れないはずだったのに」――大阪刑務所側の衝撃は大きかったと伝えられている。この作業は本来、外部から完全に遮断され、模範囚と刑務所職員だけが関わる、いわば刑務所の中でも特に閉ざされた工程だったからだ。

受刑者はもちろん、担当する職員の家族関係まで細かくチェックされていたという。印刷ミスで出た紙一枚に至るまで数を数え上げ、必ず職員の立ち会いのもとで焼却する。そこまで徹底された管理体制の、まさにその内側から、問題は漏れていた。

これほどの管理体制を敷いても、抜け道は運動時間のボール一つだった。どれだけ壁を高くしても、どれだけ人を選んでも、破られるときは内側から、それも誰も気に留めないような小さな隙間から破られる。

似たような噂は、この一件だけにとどまらないとも言われている。試験問題の印刷を担う刑務所は各地に存在し、同じような「鉄壁のはずの現場」が、いくつも存在してきたはずだからだ。表に出てきた話がこの一件だったというだけで、語られなかった話が他にもあるのではないか――そう考える人も少なくない。

「情報が漏れない場所」を探すとき、私たちはつい外部との距離だけを気にしてしまう。塀を高くし、鍵をかけ、監視カメラを増やせば安心だと思いがちだ。だが本当に危ういのは、誰もが「ここなら絶対に安全だ」と信じ切ってしまった場所なのかもしれない。疑いの目が向かない場所ほど、実は一番脆い。この昭和の一件は、そのことを静かに物語っている。