- AIと話し続けると、人間の話し方まで変わっていく。
- AIに伝わりやすい言葉を選ぶうち、曖昧さや感情を削るようになる。
- AIが人間に近づく裏側で、人間もAIに近づいているのかもしれない。
最近は、店に問い合わせをするときでさえ、最初に相手をしてくれるのが人間とは限らない。
画面に表示された質問に答え、用件を入力すると、すぐに返事が返ってくる。
こちらの言葉が少し分かりにくければ、別の言い方をしてみる。長く書きすぎたと思えば、要点だけにして送り直す。
そうしているうちに、いつの間にかAIに話しかけるための「正しい話し方」が身についてくる。
ここまでは、便利になっただけの話に思える。
ところが、最近になって少し気になる話が出ている。
AIと何度もやり取りしている人間は、AIに合わせることで、自分自身のコミュニケーションまで変わってしまうのではないか。
AIが人間のように話すようになった。
その変化ばかりが注目されているが、実は逆方向の変化も起きているのではないか、という話だ。
AIには「伝わる話し方」をしてしまう
人間同士なら、多少話がまとまっていなくても会話は成立する。
「あれさ、この前の……ほら、駅の近くにある店。名前なんだっけ」と言えば、相手が「ああ、あの店?」と察してくれることもある。
表情や声の調子から、言葉になっていない部分を読み取ってくれることもある。
ところがAI相手では、少し事情が違う。
何を知りたいのか。
何をしてほしいのか。
どんな条件があるのか。
それを文章にして渡したほうが、望んだ答えが返ってきやすい。
すると人間は自然に文章を整理するようになる。
「これについて教えて」ではなく、「○○について、初心者にも分かるように説明して」と書く。
「返品したいんだけど」ではなく、「購入した商品を返品したい。購入日は○月○日で、未使用です」と情報を並べる。
最初は単なる工夫だったはずだ。
ところが、それを毎日、何度も繰り返しているとどうなるのか。
AIに通じやすい話し方が、自分にとっても「話しやすい話し方」になっていく可能性がある。
そして、その癖はAIとの会話だけに残るとは限らない。
人間は相手に合わせてしまう
人間には、相手の話し方や態度を無意識にまねるような傾向がある。
仲のいい友達と話していると、いつの間にか口癖が似ている。
相手がゆっくり話せば自分もゆっくりになり、相手が早口ならこちらも少し早くなる。
これは特別なことではない。
人間同士なら、ごく普通に起きていることだ。
ならば、毎日話す相手が人間ではなくAIだったらどうなるのか。
AIは、こちらが怒っていても基本的には怒り返さない。
話が脱線しても、一定の調子で答える。
文章は整理され、余計な言葉が少なく、質問に対して必要な情報を並べて返してくる。
そんな相手と繰り返し会話していると、人間側も少しずつ相手に合わせていく。
感情的な言い回しを減らす。
曖昧な表現を避ける。
要点を先に言う。
一度に一つのことだけを質問する。
相手が理解しやすい形に、自分の考えを整理してから伝える。
AIにとっては、そのほうが処理しやすい。
そして人間にとっても、AIから望んだ答えが返ってくる。
だから、そのやり方はどんどん強化されていく。
「人間らしさ」を削っている?
少し怖いのは、ここからだ。
人間同士の会話には、効率だけでは説明できない部分がある。
言い間違い。
脱線。
意味のない雑談。
「なんとなく」という感覚。
言葉にできない気持ち。
相手の顔を見ながら、「たぶんこういう意味だろう」と察することもある。
AIとの会話では、こうした曖昧な部分を整理したほうが話が通じやすい。
そのため、AIとの会話に慣れるほど、無意識に「曖昧なまま話す」ことを避けるようになるかもしれない。
例えば友達に何かを相談するときも、最初から結論を整理して話す。
相手が何を知りたいのかを先回りして説明する。
余計な感情を抜いて、事実だけを並べる。
自分でも気づかないうちに、会話を「入力」と「出力」のように考えるようになる。
もちろん、それだけで人間らしさを失うわけではない。
AIを使ったからといって、突然ロボットになるわけでもない。
ただ、毎日繰り返す行動が人間の癖を作るのなら、AIとの会話もまた、その一部になる可能性はある。
AIが人間になるのではなく、人間がAIになる
この話が妙に不気味なのは、普通に考えていた方向と逆だからだ。
これまでAIについて語られるとき、「AIがどこまで人間らしくなるのか」という話が多かった。
人間の言葉を理解し、人間らしい返事をし、まるで誰かと話しているような感覚になる。
ところが、その裏側では人間のほうがAIに合わせている。
AIが理解しやすいように話す。
AIが答えやすいように質問する。
AIが処理しやすいように、自分の考えを整理する。
それを何度も繰り返す。
そして、ある日ふと気づく。
昔なら友達に「なんかさ、うまく言えないんだけど……」と話していたことまで、きれいに整理してから話している。
感情をそのまま投げるのではなく、相手に分かりやすい形に変換している。
まるでAIに質問するときのように。
そんな人が増えていったら、それは便利になったというだけなのだろうか。
「ロボット的人間性」という言葉
こうした現象を考えるときに出てくるのが、「ロボット的人間性」という考え方だ。
AIが人間の特徴を取り込んでいく一方で、人間もまたAIとのやり取りを通して、AIに近いコミュニケーションの形を身につけていく。
どちらがどちらをまねしているのか、分からなくなってくる。
しかも厄介なのは、人間側の変化が非常に自然なことだ。
AIに合わせようと思っているわけではない。
ただ、話が通じるからそうする。
返事が早いから使う。
きれいに答えてくれるから、こちらも質問をきれいにする。
それを毎日繰り返す。
そして、AIを閉じたあとも、その話し方が残っている。
もし本当にそうだとしたら、少し妙なことになる。
AIは人間らしくなるために、人間の話し方を学んでいる。
人間はAIから答えをもらうために、AIが分かりやすい話し方を学んでいる。
お互いが近づいているのだ。
ただし、その先にいるのは同じ場所なのかもしれない。
AIが人間に近づいていると思っていたら、いつの間にか人間もAIに近づいていた。
今日、AIに質問するときに「分かりやすく伝えよう」と文章を整理した人もいるだろう。
その癖が、AIとの会話を終えたあとまで残っていないだろうか。
もし残っているなら、それは便利な習慣なのか。
それとも、人間が少しずつ変わっている証拠なのか。


