バレンタインは戦後すぐに始まっていた
- バレンタインにチョコレートをあげるのは日本だけ。
- 第二次世界大戦後2月14日に大量のチョコレートが配られた。
- 後にチョコレート業界の戦略で広まった。
バレンタインデーの起源
バレンタインデーの起源はローマ帝国の時代まで遡る。当時、愛する者を故郷に残した兵士がいると士気が下がるとの理由で、兵士の結婚は認められていなかった。そんな時代、聖バレンティノは秘密裏に兵士の結婚式を行っていた。しかし、結婚式を行っているのがバレ、女神ユノ(家庭と結婚の神)の祝日2月14日に、見せしめとして処刑された。
この聖バレンティノにちなみ、キリスト教徒にとって2月14日が恋人たちの日とされ、それがバレンタインデーとなった。
海外では「恋人たちの日」であり、男女問わず花やお菓子をプレゼントしあう。日本とは違い、どちらかというと男性が積極的に女性へプレゼントする。
日本におけるバレンタインデー
日本のバレンタインといえば、女性から男性へチョコレートをプレゼントする日。今では「義理チョコ」や女性同士で贈りあう「友チョコ」も定着している。1960年代にチョコレート業界の戦略により今のような習慣いなったと言われている。
バレンタインの始まり
なぜチョコレート業界がバレンタインデーに目をつけ、販売戦略をたてたのか。
戦後すぐにバレンタインの習慣が始まっていた
「ギブ・ミー・チョコレート」この言葉を聞いたことがある人も多いだろう。敗戦後の混乱の中で、子どもたちが進駐軍に食べ物をねだる言葉である。当時の子どもたちは、言葉の意味もわからず、そう言えばお菓子をもらえることだけ理解していたという。
チョコレートをくれた進駐軍の中に、ヴァレンタイン・D・クラークという名の少佐がいた。
彼は1920年2月14日、ボストンに生まれ、誕生日の聖人「聖ヴァレンティノ」にちなみヴァレンタインと名付けられた。その名の通り慈愛に満ちあふれた青年に成長、陸軍に入隊した後もその性質は変わらず、日本人に対しても常に敬意と愛情を持って接した。
クラーク少佐が日本にいた3年間。自分の誕生日である2月14日に、自分が駐屯している地域の子どもたちへのプレゼントとして毎年5000枚のチョコレートを配って回った。
かつて敵であったにも関わらず慈愛をもって接するクラーク少佐の姿に心打たれた人々が、クラーク少佐が日本を去った後、彼への敬意を込め、2月14日に大切な人へチョコレートを贈るようになった。
クラーク少佐が駐屯していたごく狭い地域に根付いた習慣である。
この習慣を知ったチョコレート業界が、2月14日にチョコレートを贈る日として販売戦略をたて、日本中に広めたのである。