三億円事件の犯人の正体
- 証言はどれもあいまい。
- 犯人は警察幹部の息子説。
- 事件そのものがでっち上げで、別の事件捜査のためだった説。
三億円事件をご存知ですか?東京都府中市で1968年12月10日に発生した、日本史始まって以来の巨額の現金が奪われた事件である。
この事件の犯人は警察幹部の息子だったといわれている。その息子は父親が青酸カリで殺した、と続く場合もある。
その他にも、事件自体が公安警察によるヤラセで、新興住宅地で急増した新左翼のアジトを一斉捜査するために仕組まれたという説もある。事実、事件捜査のためにローラー作戦と呼ばれる全世帯に対する聞き込み調査が行われ、多くの過激派アジトが摘発されている。
三億円事件の詳細
日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(後の東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。
そこへ警官に変装して擬装白バイに乗った犯人が、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。
「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられている。という連絡があったので調べさせてくれ」と言って行員を輸送車から降ろさせた。
この4日前に支店長宛ての脅迫状が送り付けられていたため、その雰囲気に行員たちはのまれてしまっていた。
犯人は、輸送車の車体に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。
この出来事の目撃者には銀行員のほか、府中刑務所の職員、近くにいた航空自衛隊員などがいた。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧だったり勘違いだったりすることもあった。
直ちに緊急配備が敷かれ、要所要所で検問が行なわれたが、突破され逃げられており、これが容疑者の最後の姿と見られる。